わたしが表現するものには、


いつも

わたし自身のあり方、

「どうあるか」

のようなものが、出る。



すごくー出ると思っている。




   こんな画像一つとっても。



いいと思っているところも、

じぶんでは
あまり見せたくないと
思っているようなところも。



それは、
出そうとしなくても
溢れ出る(出てしまう)もので、


隠そうとしても、
出てしまうもの。



ウソで かためて
とりつくろうとしても

はがれ落ちてしまうもの、

メッキのように。



そして、


わたしのなかにないものは、
決して出せない


ものなのだ。





まあ、
あたりまえと言えば
あたりまえなんだけど、


お能を始めてから
ますます、
そう思うようになった。



「わたしの中の
最高のものを届けたい!」


とは、
花のいろアートを描くときに
いつも思っていることだが、


そのためには、
わたし自身が  できるかぎり


いや、
できるかぎりって
なんか 逃げ腰なもの言い…


あえて言ってみる


圧倒的に
ステキである、
ステキであろうとすること

が だいじ なんだ。


圧倒的に美しくあること。


(内面的な美しさはもちろんだけど、それは、人生を通じての修行と思っているので、おいておきます)






それは、
具体的にいうと


わたしの場合は、


ふだんの
暮らしと所作(立ち振る舞い、生活動作


においてのこと


それらが、

いかに

余計なものがなく
(ごちゃごちゃせず、シンプル) 
ていねい
(心をこめる、だいじにする)
であるか

ということ。



アーユルヴェーダは、
その根底を
支えてくれている だいじなもの。



そして、最近では、
お能からも
深い学びやヒントを
もらっている。








たとえば、
お能で繰り返し学ぶ「型」



(以下、わたしのメモより、抜粋)

「型は、長い歴史のなかで、先人たちがあらゆる人の動きのなかから、残すべきものは残し、捨てるべきものは捨てて、厳選に厳選を重ねて凝縮し、洗練されるなかで作られてきたもの。


日本の精神、文化の結晶であり、おのずと美しい型には美しい心がやどるもの。


きれいに魚を食べられない人が、舞台だけは美しいということは決してない。」



わたしの「舞台」とは、

キャンバスに表現する
花のいろアート のこと。





最高の美しい花のいろアートを
届けていきたい。


観る人も、
花のいろアートがある空間もを
美しくしてしまうほどに…



そのためには、
まず、

わたし自身が
圧倒的に「美しくある」こと。


その修行をしよう、と思う。


ないものは出せない


でも、

ということは…?


あるから 出せる


ということでもある。



ないもの、足りないものを
新しく身につけることではなく、


すでに
わたしのなかにあるもの


これだというものを厳選し、
磨いていくことだ。


自然に、
手放したくなるものも
出てくるはずなので、

(すでにもう、あるある)


華麗に バイバイを。


握りしめてた風船のひもを 
空に向けて とき放つように。







これから、
ブログで
そんなこんなについても
書いていきたいと思います。



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